意志の弱さを考えてみる

Essay

普段は落ち着いて一つのことをコツコツと、真面目に取り組む誠実な青年というのが深く自分のことを知らない周りの人の自分への評価だと思う。

バスケは中学から大学までやってたし、マラソン大会では高校1年から3年まで入賞していた。授業は真面目に聞いていたし、先生が困るような行動は取らなかった。

ただ、仲が良い小学校や中学校からの友人は自分の適当さを知っている。

部屋は散らかり時々釣り針が落ちている始末。机の上は常に汚く整理整頓が出来ない上に忘れ物も多い。財布やスマホを落とすと驚かれるよりもまたかという反応が返ってくる。

何かをすると明言しておきながら3日持つのは良いほうで、1カ月もすれば大抵やってない。

本当の自分は好奇心が強く、目移りし、とりあえずやってみては自分に合わないものは速攻辞める。バスケもマラソンも好きだったのは比較的他人より上手に出来たし、走ると気持ちが良いし褒められるからだった。

楽しいか楽しくないかでやり続けるか決めている。

仕事をやり始めた時も自分は大抵の仕事は出来ると思っていたが、蓋を開けてみたら許容量が低くストレス耐性もない。やりたくないことはやってこなかった。

畳の上に三年なんて言葉はバカにするし、人の意見を基本聞かない頑固者。なのに内心不安で不安で仕方がない。

31年生きているけどまだまだ悩むし苦しんで、道を見失ってぶつかってケガをすると思う。

文章にすると自分の不甲斐なさが際立つが、自分のこういったことを受け入れて生きていければ、少なくとも自身を嫌いになることはないのかもしれない。

意思の弱さもコミュ障も、それを受け入れてしまえばきっと長所に繋がるはずだから。


«
»

コメントを残す